清須会議ってどんな事をしていたのか?何のための会議が行われたのか気になる方は多いはずです!
清須なのか清洲なのかも筆者はどっちなのかも気になって仕方がありませんが、まぁ〜どっちも通じます!
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今回は清須会議の内容は史実通りだったのか?内容やその後まで歴史との違いをご紹介していきたいと思います。
清須会議とは?
そもそも清須会議とは何なのか?歴史上の内容についてご紹介したいと思います。
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が山崎の戦いで織田信長を殺害した明智光秀を討ち果たしたあとに行われた会議です!
この会議が行われた場所というのが、織田信長が最初の本拠地としていた尾張にある清洲城だったことから清須会議と名付けられたといわれています。
おはようございます(*´꒳`*)
おお、そんな改変がされてたのですね!
裏話ではありませんが、最近のだと清須会議とか凄く面白かったですねー。明らかにコメディタッチに改変されていますが、しっかり歴史好きにも楽しめる内容だと思います(((o(*゚▽゚*)o)))— 井上みつる/乳酸菌 (@nyusankinMI) February 9, 2018
ではこの清洲会議という映画の内容は史実通りなのでしょうか?
清須会議の映画の内容は史実通り?
日本史上で最も重要な事件の一つと言われているのが本能寺の変です。
本能寺の変で織田信長が討たれたことを知り、羽柴秀吉は直ぐに弔い合戦の大義名分を掲げて、神戸信孝・丹羽長秀・池田恒興・中川清秀・ 高山右近らを率いて、明智光秀との山崎の戦いに臨み主君の仇打ちを果たします。
見事、明智光秀を討ち取った羽柴秀吉は近畿地方の秩序を取り戻した事で、秀吉が信長の後継者として注目されました。
本能寺の変が起きた京都から遠く離れた場所にいた柴田勝家と滝川一益らの武将は遅れをとることになってしまいます。
織田信長の仇をとった羽柴秀吉の台頭を抑えようと、柴田勝家は清須城に織田家の重臣たちを集め清須会議を開きます。
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織田家の後継を決める時、織田信長の血縁者は織田信雄・神戸信孝・三法師(織田信忠の嫡子)でした。
柴田勝家は三男の信孝を、羽柴秀吉は信忠嫡子の三法師を推しました。
清須には織田信雄・神戸信孝・滝川一益らも集まっていましたが、信長の後継者を決める清須会議に出席していたのは、羽柴秀吉・柴田勝家・丹羽長秀・池田恒興の4人で、この4人を清須会議四宿老と言います。
清須会議の映画の内容は史上と比べてもすごく忠実に描かれている印象ですね。
ちょっと気になるのは滝川左近が遅れて出席したのは史上では記録されていないような…(汗)
清須会議の結末は?
清須会議が行われ織田家の後継が三法師に決まりましたが、その後はどんな結末になったのでしょうか?
羽柴秀吉の推していた三法師に後継が決まった後、三法師の後見人(棟梁)は信孝に決まりました。
秀吉の案が通ったことで勝家は負け、それを知って怒ったお市様は勝家に秀吉暗殺を命じました。
勝家は忍びに秀吉の暗殺を命じますが、それを知った秀吉は当の勝家の部屋に居座ることで暗殺の回避に成功。
寧は松姫にあった際に三法師に秀吉の目を向けさせたのは松姫の作戦だったことを知ります。
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その松姫というのがこの映画では三法師の母親にあたる方ですね!
その後、皆諸国に帰るとき勝家に挨拶に来た秀吉に対し、お市の方は勝家と祝言を挙げること告げます。
それを聞いて衝撃をうけた秀吉に対し、お市の方は「勝家のことを好きではないが、お前が最も嫌う相手に嫁ぐことにした」と言い放ちます。
秀吉は悔しながらもいましたが、城を去る勝家に対し、秀吉は寧と共に土下座して頭を低く下げ、「これからもご指導ください」と言いました。
勝家の背をみながら秀吉は「一年以内に勝家を滅ぼし、織田家を乗っ取ってやる!」と呟きました。
天正10年(1582年)、本能寺の変。一代の英雄織田信長(篠井英介)が死んだ。後を継ぐのはだれか?後見に名乗りを上げたのは、筆頭家老・柴田勝家(役所広司)と、のちの豊臣秀吉・羽柴秀吉(大泉洋)。勝家は信長の三男でしっかり者の信孝(坂東巳之助)を、秀吉は次男で大うつけ者とうわさされる信雄(妻夫木聡)をそれぞれ信長の後継者として推す。勝家、秀吉がともに思いを寄せる信長の妹・お市様(鈴木京香)は、秀吉への恨みから勝家に肩入れする。一方、秀吉は、軍師・黒田官兵衛(寺島進)の策で、信長の弟・三十郎信包(伊勢谷友介)を味方につけ、妻・寧(中谷美紀)の内助の功もあり、家臣たちの心をつかんでいく。
そして開かれる清須会議。出席者は4人。勝家、秀吉に加え、勝家の盟友であり参謀的存在の丹羽長秀(小日向文世)、立場をあいまいにして有利な方に着こうと画策する池田恒興(佐藤浩市)。繰り広げられる一進一退の頭脳戦。さまざまな駆け引きの中でだましだまされ、取り巻く全ての人々の思惑が猛烈に絡み合う!勝家派か?秀吉派か!?引用元:土曜プレミアム
ここまでがざっと映画の結末になっています。
清須会議のその後は?
1582年末に秀吉と勝家が戦う「賤ヶ岳の戦い」が始まります。
翌年には秀吉の勝利となり、勝家は妻のお市の方と自害に追い込まれます。
さらには戦国の世は、信長公次男、織田信雄と徳川家康連合軍が羽柴秀吉軍と争う「小牧・長久手の戦い」へと続いていきます。
清須会議の映画と歴史の違い
清洲会議の映画と歴史との違いを考えると、少しだけ違う内容になっていましたね!
史実では松姫は武田信玄の五女で織田信忠と政略結婚のすえ婚約する形になったのですが、のちに武田家と織田家が決別!
松姫と忠信は文通のみ生涯顔を合わせることがなかったと言われています。
ということはこの清洲会議の松姫の設定は三谷幸喜監督が作った架空のもので、松姫が三法師に母親というのは史実とは違っています!
剛力彩芽さんが最後に「天下取ったぞ~!」というところは、武田家の子孫に天下を取らせようとした三谷幸喜監督が考えた大どんでん返しのエンディングで、ちょっと武田家の陰謀を考えたノンフィクションですね!
史実では三法師の母親は松姫ではないことがわかっています。
三法師こと織田信秀の母親・徳寿院は塩川長満の娘、森可成の娘、もしくは武田信玄の娘と言われていますが定かではないようです(汗)
このことから清洲会議は歴史とちょっとだけノンフィクションを織り交ぜた作品に仕上がっていることがわかります!
これも三谷幸喜監督の歴史愛から生まれたのかもしれませんね(笑)
まとめ:清須会議の映画の内容はほぼ史実通り!
清須会議は映画と歴史上もほぼ内容は一緒でしたね!
ちょっとだけ松姫のところをいじった感じではありますが・・・(汗)
三谷幸喜監督のキャストはかなり個性的なキャラ設定なので、実物は一緒かどうかはわかりませんが、面白い内容なので良かったと思います!
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織田家の後継は三法師に決まりましたが、ほとんど秀吉の手回しの作戦が成功した結果になり、勝家に土下座のシーンはなんとも反逆心丸出しでちょっと恐怖心を覚えてしまいます(汗)
その後も賤ヶ岳の戦いで秀吉は勝家に勝利という結末になっていますが、この続きも気になりますよね!
ぜひ、この続きはまた三谷幸喜監督の手で作られたらと、筆者は勝手に希望しています!